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香椎(カシヒ/かしい)は、旧日本海軍の練習巡洋艦〔#達昭和15年8月p.19『達第百六十七號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十四年度及同十五年度ニ於テ建造ニ着手ノ練習巡洋艦一隻、驅逐艦二隻、潜水艦二隻、測量艦一隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十五年八月三十日 海軍大臣 吉田善吾|三菱重工業株式会社横濱船渠ニ於テ建造 練習巡洋艦 香椎(カシヒ)|株式会社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 谷風(タニカゼ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 野分(ノワキ)|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第三十三潜水艦|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第三十九潜水艦|三菱重工業株式会社横濱船渠ニ於テ建造 測量艦 筑紫(ツクシ)|鶴見製鉄造船株式会社ニ於テ建造 第十六驅潜艇』〕。香取型練習巡洋艦の3番艦である〔#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.5『練習巡洋艦|香取、鹿島、香椎』〕。その艦名は、福岡県の香椎宮に由来している〔#三菱、20話27頁『船名の由来は神社の名前から』〕。練習艦として建造されたが、長距離練習航海には使用されないまま実戦投入される。太平洋大戦末期、ヒ86船団護衛中に米機動部隊艦載機の空襲を受け撃沈された。 == 艦歴 == === 建造経緯 === 日本海軍は老朽化した練習巡洋艦の代艦として新世代の練習巡洋艦を4隻配備することになり、いずれも三菱横浜造船所で建造することになった〔#三菱、20話26頁『「香取」など4隻の建造を当所が担当』〕。 1939年(昭和14年)9月25日、三菱重工業横浜船渠で香取型練習巡洋艦2番艦「鹿島」が進水〔#艦船要目公表範囲(昭和17年6月30日)p.4『鹿島|練習巡洋艦|(艦諸元略)|三菱横濱船渠|13-10-6|14-9-25|15-5-31|(兵装略)』〕〔。 同年10月4日、香椎も同造船所で起工〔〔。 1940年(昭和15年)8月30日、練習巡洋艦香椎、陽炎型駆逐艦14番艦谷風、陽炎型15番艦野分等に艦名が与えられる〔。香椎は10月15日に進水した〔〔。 1941年(昭和16年)4月1日、日本海軍は岩淵三次大佐を香椎艤装員長に任命する。翌日、三菱横浜船渠に香椎艤装員事務所を設置する〔『○事務所設置 香椎艤装員事務所ヲ四月二日横濱市中區緑町三丁目四番地ノ二、三菱重工業株式會社横濱船渠内ニ設置シ事務ヲ開始セリ』〕。 7月15日に竣工(陽炎型18番艦舞風と同日)〔〔〔#軽巡二十五隻342-343頁『香椎(かしい)〕。同日附で香椎艤装員事務所を撤去〔『○事務所撤去 香椎艤装員事務所ヲ七月十五日撤去セリ』〕。艤装員長岩淵三次大佐も制式に香椎艦長(初代)となった。佐世保鎮守府籍。しかし、本来の建造目的である長距離練習航海には1度も使用されなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「香椎 (練習巡洋艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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